文学夜話第1回「ガラスの動物園」

 思いおこせば、二年前。夢と期待に胸ふくらませた同級生のなか、ひとりだけポツーンと会場のすみっこで、人生の選択をまちがったと気づいたボクがいました。歯科大学に入学したときのことです。入学式のセレモニーだったと思います。何百人と集まる同級生の前に立った学長がどでかいスクリーンにばーんと「歯医者になれば、将来は保証されます」というスローガンを掲げたとき、なんかゾッとして、「ああ、これは辞めよう」と思ったのをはっきりと覚えております。将来に対する薄暗い不安。これがひとつの契機となって、「自分には何かある」という無知からくる自信だけを根拠にして、ボクはわずか三ヶ月を待たずとして歯科大学をやめてしまいました。それから実家に帰り、今日に至るまでフリーターでありますが、いっこうに、まったくさっぱり、清々しいほど、何者にもなれておりません。フリーターというのは無所属だから、本来、社会からは切り離された存在です。そのうえさらに自分の場合は、バックパック背負って世界旅行とか行っちゃうようなポジティブなフリーターではなく、生粋のネガティブフリーターであります。他人との交流がわずらわしく、いつも本ばかり読んで暗いことばっかり考えています。このままずーっとこの部屋で何者にもなれないんじゃないだろうかって・・・。それだけではなく、もし何者かになれたとしても、それが自分の理想とする者でなかったとき、はたしてそれに耐えられるのかという不安もさらにあり、この曖昧模糊とした状態でいることは、苦痛でもあり、楽でもあるのです。蝶か、蛾になるか知るのが怖いので、しばし孵化を先延ばしにするサナギ、みたいな。そんな感じ。だから最近になって、このまま一生、自分を決定するのを先送りにしながら生きていくのかもしれないと思うと、必然的に読む本もなんかそんな本ばっかりになってきています。テネシーウィリアムズの「ガラスの動物園」なんか、まさにそんなときにドンピシャの本なのです。

 

ガラスの動物園 (新潮文庫)

ガラスの動物園 (新潮文庫)

 

 

 出てくる登場人物はみんな何者にもなれていません。才能もなければお金もない。セントルイスの狭いアパートに住んでいる家族なのです。無名の庶民。絵に書いたような中の下です。そしてその状態を脱皮しようと一生懸命もがいているのですが、結局なにも始まらずに終わっていく・・・という小説なのです。
 はじめてこの小説を読んだとき、正直「なんだこれ?」って思います。誰でも思いつくストーリーだし、何が伝えたいのかもよくわかんない・・・。話としては、まるで面白くないんだけど、読んだあとで後味の悪さだけがのこるのです。なんか自分を見てしまったような。この小説の登場人物には、なにか他人事ではないものを胸に迫るほど感じるのです。とくに母親と、その息子であるトム。母親は昔豪華だった子供時代が忘れられず、いつもその思い出に浸っており、いつかあの時代が戻ってくると思いこんでいる幻想マダムです。いっぽう息子のトムはつまらない仕事に妥協しながらも、いつか自分はビックになれるんじゃないかと期待しているようなハナタレ小僧でございます。つまり、登場人物全員が理想以下の生活に甘んじながらも心の片隅で<太>「自分だけはどうにかなるんじゃね」</太>とうっすら思いこんでいるのでいるのです。「自分だけはどうにかなる」という何の根拠もない確信だけを「生きるよすが」にして毎日をやり過ごしている人たちなのです。・・・ゾッとしますね。なんでかって・・・完全に、ボクですやん・・・。

 ところがこの作者は、そういうキャラクターたちにたいして、シンプルで恐ろしい決論を突きつけるのです。「どうにもならねぇよ」って。ボクも日夜、この母親とトムと同じく、「自分だけはどうにかなるんじゃないか」という何の根拠もない自信にささえられて生きているので、この結論はきついのです。「いや、お前も凡人だから」と冷水をぶっかけられたような、簡単に言うと、そんなサディスティックな小説なのであります。

 とくに、この小説に出てくる主人公。20歳前後の青年トム・ウィングフィールドなんてまさにボクではありませんか。暗い倉庫の中で何時間もやみくもに働いているフリーター。家族の生活のために、自分の時間を切り売りして生きているんだけど、現状には満足しておらず、いつかこの生活を抜け出して、自分の夢を叶えたいと目論んでいる。「夢」っていってもめちゃくちゃ漠然としてるわけですよ。詩人になりてーとか、ビックになりてーとか、そんな感じ。自分は何か才能があって、いつかそれが開花して、大物になるって思ってるような。夢追い型フリーターの元祖といえばわかりやすいでしょうか。これは他人事ではありません。まさしくボクです。将来なにになりたいの?と問われたら、「作家」とか「俳優」とかそういう願望を心の内に秘め、一発逆転を夢見るちょっと身の程知らずなフリーター。見ていて、「あぁ、夢を追って道を踏み外しそう」と心配になっていきそうな・・・。そんなやつが主人公なのです。ヤバすぎます。
 だから彼が作中でつぶやく言葉にはグサっと胸を射抜かれるのです。

 「母さんにはどうだっていいんだ、いまぼくがやっている仕事とーーやりたいと思っていることとのあいだには――いささか違いがあるってことなんか」「倉庫へ行く! たかが65ドルの月給のために、こういう人間になってこういうことをしたいというボクの夢をすべて捨ててるんだ。永久に」

 作中で母親と喧嘩するシーン。

 母親「たいていの若者は自分の職業に冒険を見つけるものだよ」
 トム「としたらたいていの若者は倉庫にやとわれちゃいないんだ」
 母親「世間には倉庫や事務所や工場にやとわれている若者がいくらでもいるわ」
 トム「そいつらがみんな自分の職業に冒険を見つけているかい?」
 母親「見つける人もいるし、見つけなくても文句言わずにやってる人もいるでしょう! みんながみんな冒険キチガイじゃないんだから」
 トム「男はね、恋をし、獲物を追い、戦いを挑むのが本能なんだ。ところが倉庫の仕事じゃあそういう男の本能は発揮できないんだよ」

 

 ボクを含め、日本全国にいるやりたくもない仕事を生活のためにしぶしぶやっている人間にとって、こういう箇所はドキっとするではないでしょうか。100人いれば95人ぐらいは(この統計はテキトーだが)やりたくもないし、興味もない仕事についている人間が大半なのです。そんなトムは最終的に、そんな生活に耐え切れず家を飛び出して、自分探しの旅へと出かけてしまいます。残されたのは、母親とトムの姉であるローラのふたりだけ。トムの行く末は作中では明らかにされてませんが、この小説で一番哀しい登場人物、この小説の中核をなす人物は実はトムではなく、トムの姉であるローラ・ウィングフィールドなのです。自分探しの旅にでかけたトムとは打って変わり、この姉。極度に内向的なのであります。

 ・希代の喪女、ローラ・ウィングフィールド

 人生に不満を持ってはいるものの、新しい生活へ飛び出すことにたいし臆病で、いつも内側に閉じこもっています。母親のすすめたタイプライターの教室をさぼっては、公園へ行ったり、美術館へ行ったりして、自由気ままな生活を送っているように見えますが、恋人もいなければ、友達もおりません。もちろん処女だし、作中では言われないが、おそらくブスなのでありましょう。しかも足に持病をおっていて、いつもそれがイヤで用のないときはずっと部屋にとじこもっているのです。
 モテたい。モテたいのだが、自分にその器量が備わっていないことを早い時期に悟った彼女は、なるべく外の世界との接触をたち切り、自分の世界に閉じこもってしまっています。閉じこもってなにすんのかっていうと、動物を模したガラス細工のおもちゃをずーっといじっているのです。喪女の鏡です。ところが彼女には、そんなネットに跋扈しているモテない女の投げやりな明るさなどを皆目見当たりません。あるのは不憫さです。
 男の童貞はそんなに引きませんが、女の処女は見るに忍びない。男の独り身はそんなに引かないが、女の独り身はどこか哀愁を誘う。笑ってすまされない感じがどうしてもしてしまう。そんな不憫さを全身からまとっているローラ姉さん。モテない上、社会にもうまく適応できない、その欠損をおぎなうような才能もない。日本全国にもこういう女性はたくさんいて、もしかしたらすべての人がローラ姉さんに感情移入してしまうのではないでしょうか。文学史上類を見ないほどの、トップクラスの喪女であります。ところがこういう女性にたいし、作者のテネシー・ウィリアムズは何をするか。読んでもらえればわかりますが、ほんとに感動もクソもない。むごい話なのです。普通、こういう生まれながら逆境に立たされた人とか、自分の意思とは無関係に不幸な境遇になってしまった人にスポットを当てるとき、最終的な着地点は「明日もがんばっていこう」みたいな前向きな結論で終わるはずだし、そうあるべきみたいな風潮はどこかにあります。ところがこのテネシーの野郎は、徹底して希望を与えないのです。それだけではなく、一回希望を与えといて、絶望に落とし込む。性格が悪すぎるのです。あざといのです、やり口が・・・。「ダメなやつは何してもダメ~これが現実なのよ~じぁねぇー」と雲の上から言われているような感じ。ムカつく小説です。もちろん褒めてます。だからこそ好きなのです。そう、ムカつくけど、このムカつきようは小説の魅力に直結するムカツキなのです。
 
 「あなたはあなたのままでいい」とか「がんばればなんだってできる」とかうわべだけ~のポジティブなメッセージよりは、「なにしてもダメなときだってある」ってハッキリ言われたほうが、清々しいじゃないですか。
 「人は生まれながらに差がある」という言葉があります。その差に苦しめられながら四苦八苦する人間が描かれた小説にとても共感を覚えます。しかもこの小説は、結局何者かになりたいと強く願っていながらも、何者にもなれずに終わっていく、暗黒童話です。「自分だけはどうにかなる」と思っている人はこれを読んで、一回「あぁ、自分も凡人なんだ」と改心してみるのもよし。でもすぐ忘れるけどね。でもやっぱりボクだけは違うって・・・。まぁ、とにもかくにも、こんな不憫で哀しい小説はほかにありませんよ。