又吉の「劇場」どうしてこうなった。

 

  「杉田水脈」の国会活動「サヨク打倒」を掲げる愛国運動の戦略的拠点「新潮45」が炎上して一か月目、ようやく沈静化を見せ始めた騒動だったが、前回の「過激な反論意見」で再び大きく世論を賑わせたLGBT騒動。前回の慰安婦問題で彼女の天然ぶりを紹介したばかりだが、彼女は個性そのものが強烈な人なので、周りにいるキャラも強烈な取り巻きが多く一難去ると「また変なのが現れた」的な連鎖が続いていて右派論談の「キャラの濃さ」「魑魅魍魎感」に驚嘆せずにはいられない。そういう出来事であった。

 で、今日は、「あのヤバい新潮45の特集」について改めて振り返ってみたいんだけど、その前に杉田水脈の寄稿文の「酷さ」を改めておさらいしてみたいLGBTに詳しくない私でも、杉田氏の主張は冒頭から論理破綻の連続で衝撃的なインパクトがあった。杉田擁護派が「全文を読め」「読め」言うてるから読んだけどホントに「全文」酷くて、まずページをめくった瞬間にLGBTへの報道は「生き過ぎだー」だと言い始めるんだけどさ。三行目からアゴ外れそうになってしまった
 しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。
 もう何かがすでにおかしいw さらに杉田水脈は「日本にはLGBTの差別はそれほどない」と無根拠に断言する。

 もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
 杉田水脈は、何故か「差別ってありますかね」と冒頭から問いかけしかも何のデータも裏付けもなしに「差別なんて大してない」と言い切ってしまうこのゴリゴリで狭い主観でしか物事を見れないこのメンタリティが、国会議員として基礎的な良識が欠けていて差別問題を真剣に語る意識がまるでないのが凄い。なぜなら自分の主観でしか物事を見ておらず、被害者の気持ちを一ミリも想像していないからだ。(ちなみにLGBTへの意識調査では6割以上の人やいじめや差別を経験と回答している)
 さらに杉田氏は、そもそも同性愛者の辛さは「親の無理解にある」と断言する。
 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
 これもオカシイよな。なんだよこれは。あれだけ「日本は寛容ですよね」と言っておいて「親の無理解」を語るって矛盾してないか。それがまさに「LGBTに日本が寛容でない証拠」に他ならないんだけど。大丈夫なのかこの人は。いきなり意味不明な文章が続いてしんどい。
 そして次に「親の無理解」を語った後は、自分の学生時代の話を始める杉田水脈。
 そもそも学生時代に「同性を好きになる」というのは若い頃の通過儀礼のようなもので、大人になるにつれ卒業していくものだ。だから同性愛を報道して「同性愛を若い子にけしかけるな」と言い始める。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。
 いやいや、「同性愛に気づくことが不幸になる」=「普通に恋愛して結婚できない人」を「不幸」と定義づけているわけだから差別的としか言いようがない。しかも何故、そういう人々を「メディアに取り上げるな」という方向に行くのか。不幸な人がいるなら救い出すの政治の役割であるはずなのに不幸な人が増えるからという理由で「同性愛の事は報道しないように気を付けよう」って、これがLGBTに寛容な国とか意味が分からないのだが。そして極めつけはこの発言だ。
 「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ冷静に批判してしかるべきではないかと思います。 「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。
 杉田氏は社会の「秩序」や「常識」が「普通のこと」を見失うことで崩壊するのだと言う。しかし、これも変な理屈だ。もし杉田氏の意見が正しいのだとすれば同性婚を認めた国(イギリス、フランス、オランダ)はそれぞれ秩序が崩壊しているはずだ。これらの国々は秩序が崩壊して大変なことになってないとおかしい、のに杉田氏は、そういう国を一つも例として上げられない。この時点で彼女の自説の根拠は破綻しているのだがそのことにも気づかず全体的に論旨としても説得力ゼロなのである。 
 とまぁここまで読んで、あの寄稿が十分にイカレテいるのは伝わったのではないか。と思う。このような杉田氏を「人生観色々」で擁護する日本は、たしかに多様性がある。しかしその多様性があるなら、同性婚や、夫婦別姓を認める多様性も当然あるはずだ。ないとおかしい。なのに封じ込めると言うのは、ほとんど意味が分からない。寛容寛容と言うのであれば、同性婚や夫婦別姓に賛成するのが筋だろう。
 あと今回の騒動では、やっぱり凄かったのは、杉田氏を擁護する側の意見が強烈だった。


 ・杉田水脈を擁護する新潮45の醜悪な面々。

 新潮45の内容では、いわゆる杉田氏の「お仲間」が、杉田発言を擁護する論説を展開して大炎上となった。これもまた凄い内容なのである。先発バッターの藤岡信勝からして凄い。 

 藤岡氏は、自説の中で、今回の騒動を「左翼」の言論弾圧に見舞われた杉田氏は「被害者」だと主張。そもそも今回の騒動はサヨクが「誤読」したことで始まったと藤岡氏は主張する。杉田氏は「子供がいない人は生産性がない」などとは言ってないと藤岡氏は断言する。「杉田氏は、『子供を持たない、もてない人間は『生産性がない』がない、などとはどこにも書いてない」P78つまり杉田氏は、言葉狩りに遭った(被害者)だとそう主張する。

 しかし、この文章、ホント意味不明で笑ってしまう。冒頭から「『子供を持たない、もてない人間は『生産性がない』がない、などとは書いてない」P78と言っておきながら、次の行で「彼ら彼女らは、子供を作らない。つまり『生産性がない』と位置付けられる、というだけのこと(だP79)と言う。
 何を言ってるのだろうか藤岡氏は。そんなことは書いていない!って書いとるやないかいwそれが「子供がいない人間は生産性がない」って意味だろーが。そういう意味にしか取れないのだが。それ以外にどう解釈できるわけ?新潮45が愛してやまない安倍晋三まで「子供がいないと言われるのはつらい」とそういう風に解釈しているのだが、安倍晋三まで敵に回して大丈夫か。藤岡氏は。いきなり意味の分からない文章で笑ってしまった。

 ・デモの意義を全く理解していない冷笑系ユーチューバーカズヤ

 このように、藤岡氏の意味の分からない論考がまず目に入ってきて、続いて目に入ってきたのは、KAZUYA。ネトウヨにタカ派なことを言ってウケけている最近話題の政治系ユーチューバーである。またこいつも酷い。KAZUYA氏は今回の騒動を「当事者ではない」人間が騒いでいることを問題視。「今回の騒動で懸念するのは、当事者ではない外野が騒ぎまくって、LGBTが腫物扱いされることです」P109
 KAZUYA氏は「当事者LGBT以外の人が杉田発言に抗議するのは変だ」と思っている方らしい。いやコレもおかしい。杉田水脈の発言に当事者以外の人が怒るのは普通の市民であれば、当たり前だし、無知や偏見を容認する政党なんか受け入れられないのが真っ当な感覚だ。もし当事者じゃない人間がデモに参加してるのがおかしいと思うのであればそれはお前が他人の人権に無関心であることの証左でしかないだろう。
 そして次の段落で、KAZUYA氏は、自分のフォロアーにもLGBTの人は多くいる、と語り、彼らに聞くと「静かに暮らしたい」と言っていたと言う。つまりデモで杉田ヤメロと騒いでいたら、LGBTの人が静かに暮らせなくなるじゃないか、と言いたいらしい。
 うん。それもおかしい。そもそもマイノリティが静かに暮らせなくなるのは、差別のせいであって、デモのせいではないよね。それに対するデモを起こしたことでマイノリティが静かに暮らせないのなら、それはカウンターデモじゃなくて、その社会に問題があるよね。デモをしただけで、LGBTが腫物扱いにされるのは、そういう見方をするソイツが「マイノリティの主張すら認めないほどマイノリティを普段から腫物扱いしてる」だけなんだよね。こんなことちょっと考えたらわかることだと思うのだが、もうこんなやつ持ち上げるのやめようよ。て思った。

 杉田水脈を擁護するつもりが、何故かセクハラを擁護する小川栄太郎。

 このようなKAZUYA氏の「ズレた」意見がご披露され、次はいよいよ小川栄太郎である。
 小川栄太郎の文章はあちこちでバズっているので、あえて乗せる気はない。短く端折るが、小川栄太郎の論考はこれまで見た擁護の中でも「ひときわ狂気性」が高い。「狂気性」に関してはトップクラスだ。別にほめてないけど。

 いきなり冒頭から凄すぎる。冒頭から小川氏「性的嗜好など見せるものでも聞かせるものでもない」(P84)と語り始める。ものすごいちゃぶ台返しだ。そもそも小川氏によれば性的嗜好を告白したりするのが「不快」なのだと言う。小川氏によれば、LGBTという概念が「ふざけた概念」であり、ましてやそれが権利を主張するのが社会の病んだ風潮であり、彼らの権利を認めるのであれば、痴漢の権利も認めろと主張。LGBTは性的嗜好の問題であり、痴漢してしまう人間も性的嗜好なのであるのだから、LGBTを保護するなら痴漢も、保護すべき対象だと主張する。
 スゴイだろう。この理屈。言うまでもないが、小川氏は何故か被害者の存在する(痴漢)と、LGBTの人を同列視してるのだ。それもまた凄いのだが、さらに凄いなと思ったのは、
 冒頭で小川氏「性的嗜好についてあからさまに語るのが、全て不快だ」と言っておきながら、何故か「セクハラ」を擁護している。この記事で小川氏はセクハラを擁護しているーーー「セクハラ」という言葉の乱用が、あまりにもひどすぎはしないだろうか。「セクハラ」は、男殺しであるのみならず、もはや女殺しの凶器でもあるのだ。

 
 セクハラはOKってどういう事なんだw。性的嗜好は慎むべきだあとか言うくせに、セクハラはOKって、意味が分からない。セクハラこそ性的嗜好の最たるものだろうw。ほんとに頭がおかしいのではないか。
 こんなふうに杉田氏を右派の人たちが一生懸命擁護するのだが擁護すればするほど彼らの「異様さ」があぶり出されていくような感じなので、擁護になってないのだ。
 こういう人って必ずこういう事を言って杉田を擁護するよな。「税金の投入の話をしただけで、なにも杉田さんは間違ったことは言ってないんだあ」って。いやいや、そもそも『「税金の配分を決める」重大な責務』を議員が背負っていてそれに対して市民に何かを提案する職務なのであれば、むしろ「間違った見識」に対して市民が怒りを持つのは当然のことであり、批判が起きるのは当たり前の事だろう。しかも彼女は政治家なのに説明責任まで放棄して逃げ続けている。これをメディアリンチとか左翼の言論弾圧という方が認知相当歪んでると思うぞ。

 しかも彼女は、今まで国会議員として散々慰安婦問題を否定して、慰安婦女性を貶めてきた人だ。

 そういう人間が「私はマイノリティの皆さんを理解してます差別はよくありません」とか言ってもなんの説得力がない。今まで散々「私たちは、こんなに被害を受けている」と言っても、彼女は笑いながら「日本を貶めてるだけでしょ」「反日はやめて」って足蹴にしてきた人だからだ。いつか彼女が慰安婦女性に向ける視線が、非生産的な人たちに向けられるかもしれない。だからこそ危険なのであり、この問題は、慰安婦問題と、切り離して語ってはいけない問題なんじゃねーのと思ったのである。

 

  なんかブログを更新していきなり暗い話題で申し訳ないのだが、最近気づいたのだが、

 
 なんかブログを更新していきなりこんな唐突に暗い話題で申し訳ないのだが、最近気づいたのだが、

  なんかブログを更新していきなりこんな暗い話題で申し訳ないのだが、最近気づいたのだが、

  なんかブログを更新してこんないきなり暗い話題で申し訳ないのだが、最近気づいたのだが、

 なんかいきなりブログを更新してこんな暗い話題で申し訳ないのだが、最近気づいたのだが、

  なんかブログをいきなり更新してこんな暗い話題で申し訳ないのだが、最近気づいたのだが、私は、生まれてこの方、異性に好かれたことがない。なんでこんな話を急に始めたかというと、バイト先にK君という男の子がいるのだがK君と昨日シフトに入ったら、K君は今まで彼女が6人いたという事実を聞かされたからなのである。ものすごい衝撃だったので今ブログに綴っているんだけど、今もその事実がリフレインして心を苦しめているのだ。バイト先のK君は、微妙にチャラ男っぽい男の子なのだが、よくしゃべりかけてくれるタイプの子で、すぐに打ち解けることができ、あるときK君と休憩中に会話していたら、K君が「今まで彼女は何人いたか」という話題を唐突に振ってきたのだ。まったく専門外なので、焦り、虚勢を張るのもアレなので、ここは正直に「ゼロ」だと答えると、K君は、それを聞いた瞬間、まるでレアなポケモンを見つけたかのような目つきになり言葉を失っていたのである。私は、そのK君の反応を見て、ここ数週間その反応に結構落ち込んでいた。
 たしかに今まで私は女性と一度も付きあったことがない(どころか女性と会話したことすら数えるほどしかない)。というか自分は28年間、家族以外の人と一度も仲良くなれたことがない。職場でも、友達になれた人は一人もいない。趣味も合わない人、境遇の違う人と、何をしゃべっていいのか分からず今日も仕事場の同僚の女の子に、「今日は商品多いですね」とか言われたのでテンパって、「ぐふふ、そうでふぅね」とかいう、すごい気持ち悪い返答をしてしまった。頭がテンパって、たわいもない世間話をするだけでも絶望的にコミュニケーション能力が不足が露呈してしまう。ゆえに交友関係が恐ろしいほど希薄で、まったく人間関係が増えて行かない。こういう若者って私だけなんだろうか。と考える時がある。メールも基本的に、家族からしか来ない家族としか喋らない。家族と一緒にいつも「明日は焼肉だあ」とか「来年はディズニーシーに行こうかぁ」とか骨休みの旅行の計画を立てたり、いい年した大人なのに家族と気色悪いぐらい仲がいい。これが普通の人生なんだと思っていたが、どうも世間一般的に「普通ではない」と知って、ここ数週間、けっこうマジで凹んでいた。
 でも普通に生きてたら、人と人ってそんなに仲良くなれるものだろうか。ましてやそんな少女マンガみたいな「自分の事を好きになってくれる」他者と巡り合える運命的なメカニズムが発生する人生の原理がどうしても理解できない。どうやったらそんな出会いがあるんだとK君に聞くと「いや、自然にできますよ」と答えたのだが、いや、その「自然」がわからない。みんな不自然だと私は思うのだが。ある時期から現実で誰にも相手にされないのでネット方面に光明を見出してきたが、その結果も、余りにも悲惨だ。ブログの読者だと言う女性大生が気になって女子大生の投稿に「いいね」押しまくってたら翌朝ブロックされてたり、出会い系に登録して女の子に電話したら変なスリランカ人に8万円ぐらい請求されたり、アメーバピグをやって女の子にキモがられたり、最近は何をやっても拒絶されるだけなので、ネットで人と交流したりすることもほとんどなくなった。
 いちばん堪えるのは、そういう人から拒絶されればされた人間は、益々卑屈になり自信を失い、結局、何もしなくなってしまうことだ。今、一日中完全にパソコンばかりいじっている人間になりつつある。

 性的に魅力がないだけじゃなく、私が異性に好かれない根本的な原因を改めて考えてたのだが、それは「私は何者である」と他人に堂々と言えるような自己を持っていないところにあるんじゃないか。と思う。みんな自分に自信がありすぎなんだよ。
私に最も欠けているのは「自信」かもしれない。
 

 

 

 

 容姿格差による差別を解消するため「ブサイクに給付手当を支給できないか」という話。

 

 

 

 

  なんか最近、面白い本ないかな、と本屋を見回っていたら、昨日すごい面白い本を見つけた。

 容姿格差「生まれつき不平等の経済学」てタイトルの本である。これが凄い内容でビックリしてしまった。まーどんな内容かと言うとね。「ブサイクは経済学的に見て、圧倒的に、損だと」ということを言っているカンタンに言うとそういう本やねん。  

 で、この本の著者はダニエルさんていう人なんやけど、あるときこの人が老若男女にアンケートをとったらしいねんな。あなたは「容姿差別」を感じたことがありますかって。そしたらビックリすることにアメリカ人の大半が「容姿差別の方が人種差別より酷い」と回答したんやて。で、色々調べてみたら、どうも人間には「美」を左右対称に求める傾向があって大方「美」に関する合意は決まってるんやて。で、その中で、美人とブサイクをダニエルさんは沢山集めたらしいんやな。それでその人たちの年収データを調べてみたらしいねんな。そしたら凄いことが分かったんやけど、どうも美人やイケメンのほうが「収入が多い」ということが判明すんねんて。
 ダニエルさんは「じゃあなぜ美女のほうが収入が多いのか?」とこの問題を更に考察していくわけや。そしたら段々と分かったんやけど、どうも社会の生産性が「美の容姿」に大きく依存していることが分かってくる、つまり社会全体が「ブサイクを冷遇すること」によって経済を発展させてきたということが分かってくんねん。

 例えば、モデル。タレント。アナウンサー。ブサイクは冷遇される職業は至る所に存在する。視聴率や、売り子でも美女の方が売り上げがいいとか、ブサイクは冷遇され美人の方が得をする職業は数多く存在する。ダニエルさんはそういう社会を統計データで突き付けられ、ついに異議を唱えるわけや「それって差別じゃないの?」って、人を容姿で冷遇したりするのは、肌の色で人を差別したりするのと同じじゃないの?と訴えかけるわけや、明らかに差別じゃないか。ブサイク冷遇されている。これはおかしいと。で、更に、ダニエルさんは、これを是正するためにブサイクを「障碍者枠」に入れてみたらどうかと提案すんねん。ブサイクは障害の定義に当てはまるからブサイクに障碍者と同じ枠で社会保障をすべきだ。とダニエルさんは訴えるわけや。実は、この試みは、アメリカでは、すでに始まってるらしいねん。アメリカの一部の州には「外見に基づいて・・・差別すること」を禁じる条文があって、自分の歯が欠けているという理由で解雇された店員が、雇用主を訴えたケースもあんねん。でも、まだまだ「容姿差別」は今も根深く広がっていて世界中で繰り広げられている現状やねん。
 広告。売り子。芸能人。等々、もしこれを差別だとして禁止してしまうと、人間の経済活動を「破壊する」からだと。だからブサイク差別は公然と許されて続いてきたんだとダニエルさんは言うねん。人間の倫理観は「儲かるか、儲からないか」で決定されているんだと。

 この問題についてテッドチャンという作家が書いた「顔の美醜について」という短編が、オススメです。どういう話かというとね。近未来の世界なんやけどね。その世界ではう凄い装置が発明されて「カリーアグレシア」っていう装置が発明されんねん。どうう装置かというと。「美人とブサイクの見分けがつかなくなる」凄い装置やねん。で、それをつけたら(容姿至上主義)から解放されて美の感覚がなくなるわけや。そうするとな。不平等が是正されて平和が訪れるんやけど。だんだん、その装置に反対する人も出てくんねん。ルッキズム(容姿至上主義)から解放されたら、化粧品会社は倒産してまうやん。だから化粧品会社は猛反対するわけ。例えば、歌手や演奏家の音楽を聴いても二流の音楽家が劣等感にとらわれないように、全員が音楽失念処置を受けるべきとでもいうのかーみたいな、そういう反論が生まれて、「劣位を生み出すから」という理由で規制することは、人間の美的感覚まで失わせて美の価値まで否定することになるんじゃないか。って二項対立が生まれて、大論争になるって話やねん。ユニークな発想の小説で、「あなたの人生の物語」に収録されているコレ面白いのでぜひ読んでみてほしい。

 で、私もブサイク手当は個人的に必要だと思うんですよ。今まで社会が根源的に見ないふりをしてきた最大の差別が容姿差別だと思うし、というか容姿の問題を「ハンディキャップ」として捉えていくプロセスは絶対に必要なんじゃないかと思う。例えば結婚市場でも女性は、明らかに美人の方が、得をするのは動かしがたい事実だろう。

 だから打開策として、ブサイクに補償金を与えるようにする。容姿のいい人間から「美所税」「イケメン」税をとり、そのお金をブサイクに分配。そのお金をブサイクは自分に投資し、スキルを上げ、結婚市場にうって出る人材に変える。少子化対策のためにも絶対に必要だと思うんだ。異性から好かれず、挫折した非モテは自信を失いニートになったり、私みたいなニートだがフリーターだがよくわかんない存在になってしまうと思うんだよ。だから、こういう人たちを救うために、ブサイク手当は、いずれは必要だと思うんですよ。いやマジで、だれか訴えてくれる政治家居ないですかね。月8万は欲しい。

 

 

 

美貌格差: 生まれつき不平等の経済学

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あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

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 世界の人類の起源は、天地創造説と呼ばれている。多種多様な文明や、

 ユダヤ教、イスラム教、イスラム教、の天地創造説は、全く一緒やねん。

 これらの宗教はいずれも、唯一の神が世界を創造したとする一元発生説を信じており、すべての人間はアダムとエバの末裔であり、さらにはノアと彼の息子や孫なのだと信じている。

 この三大宗教は、本来、一部の人種が他の人種より劣っているとか、優れているとかの考え方をしない。このメッセージを曲解。

 6000千年まで神が作った。

 6000年前に骨が発見。

 神を信じる人たちは、教義とそぐあない現実に、うろたえた。

 どうする。そこでそう考えた。

 あ、そうか、神様は、人間を作る前に、「人間を作る練習」をしたんだと。

 で、一番古い人国は黒人やったので、

 神を支持る白人たちは、「あ、そうか、黒人は、白人より前に作られたので、白人より出来損ないなんだ」って思い始めた。

 異民族に対する偏見が、疑似科学の立場から正当化されるようになったんや。

 南部のアメリカの奴隷を酷使する坊城主は、このプレアダム説を利用して、黒人奴隷を正当化することになんねん。

 

 進化論。キリスト。

 

 天然資源は、人間が使うように神が我々に与えてくれたものなんです。

 クリスチャンは、神があらゆる人々を収容するに足る大きさに地球を作り、豊富な資源を与えていることを知っている。

 終末思想。終末論者は、この世の中が、破滅状態になったらイエスが再臨してくれて啓子な信者たちを神の国に導いて中にはイエスに早く戻ってきてもらいたいがために環境破壊の促進を歓迎している人もいます。

 聖書は、人間は神様が作ったと書いてある。

 進化論、人間の祖先はさるやー。

  ネーションオブイスラム。フォードとう男、

 黒人こそが神が最初に作った人間であると主張し、白人は黒人のあとからつくられた出来損ないの人種なのだと説いた。デトロイトで生まれた。

 疑似学説。

 アメリカの黒人科学者を携えて、日本で巨大兵器を作るつもりだった。マザープランは巨大な風船で、この小型のプレーンを、白人のいる地域にやみくもに落として、黒人の国を再び地上の支配者として復活させようとした。

 日露戦争。

 日本の軍人たかはし大佐が、アメリカに乗り込んで、アフリカンアメリカンをたきつけて、カルト集団を立ち上げようとした。

 妄想にとりつかれたFBIは、ネーションイスラムを逮捕。

 マルコムX

 キング牧師。

 人種分離。

 内紛。マルコムX暗殺。

 

 

  
 SFは苦手だった。理由は、よくわかんないから。なんか理系の知識いりそうだし、専門用語とかいっぱい出てきて、読んでも楽しくなさそう。というのが、僕のSFの見解だった。そんなSFに関してかなり門来外のぼくが意を決して、読んだSFがこの。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」である。みんな知っているだろうか。この小説。私は、このタイトルが気になって仕方が無かった。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」。なんなの? 電気羊って? そして何気ない気持ちで読み始めたのだが、あまりの面白さにド胆抜かれた。まずね。これね。まー、SFなんだけど、読んでみると、すっごいコントみたいな話なんです。近未来が舞台なんですね。まー主人公は公務員なんですね。公務員なんですけど「給料が安いな」ってずっと思ってるんです。奥さんもいるし、一段グレードアップした家庭にしたいと思ってるんですね、そのグレードアップしたいと思い切って主人公が欲しいと思うものが、「家」とか「車」とかと思うでしょ。違うんですよ。何が欲しいかというと「ペット」なんです。「家とか車とはいらん、とにかくペットが欲しい」って思ってるんです。。なんでかっていうと、化学汚染された死の灰が降ってきて、世界中から「動物」が死滅した世界なんですね。だからそんで主人公を取り巻くご近所さんも世界中の人が「ペットが欲しい」と思ってるんです。「ペット」を持っていたら、「あーお宅のご主人、立派なペットお持ちですねー」って周りから言われて、一目置かれて、一流の大人として認められるんです。「車」や「家」より、「ペット」を持つことが一流の大人のステイタスシンボルなんです。そういう世界なんです。だから主人公も「ペットを買って周りからチヤホヤされたい」と思ってるんですね。しかも、そのペットが偽物とかじゃダメなんです。どういうことかというと、科学技術だけは発展してるから、「動物に似てる偽ペット」だけはいっぱいあるんですよ。あー猫だ!ってよく見たら、あ、違う、あれ、ニセ猫や!みたいな。ニセモノ天国。で、主人公も一匹、ペットはいるんですけど、ぶワーと庭とか見たら、羊が一匹いるんですよ。でもよく見たら羊じゃないんです。「ニセ羊」なんです。だから見ても、ぜんぜんテンションあがらないんです。あー羊おるわ、でもニセ羊やわ・・・クソ、ニセ羊とか、嫌やわ、って。ずーっとなげいてるんです。なんでもいから偽物やない本物が欲しいわ、っておもってるんです。隣の人は「馬」もってるんです。本物の。それにめっちゃ嫉妬してるんです。「なんであいつは馬で、俺はニセ羊やねん。ニセ羊とか死ぬほどダサいやんけ」ってずーっとイライラしてるんです。そんでどうしようってなったときに、アンドロイドぶっ殺そう、って思い立つんです。アンドロイドを5体殺せば国から懸賞金がもらえるんです。その世界では。人間のニセモノもいるわけですよ。そのうちの何体かは、不良品みたいなアンドロイドもあって、それをぶっころせば、お金もらえるんですね。主人公もニセモノに対しての憎悪がハンパじゃないから、アンドロイドへの殺意もすごいんです。なんで俺だけ、ニセ羊やねん、腹立つわ。もうあかん。アンドロイドも全員ぶっころしたるわ。ってめェ血走って、アンドロイド狩りにでかるんです。この主人公のファニーな戦う動機「ペットが欲しい」ために戦う」に、僕は、もう心が一発でもっていかれましたね。アンドロイド頭いいですから、めっちゃ賢いんです。だからもう一体殺すのも死に物狂い。よし! めっちゃがんばって、一匹殺せるんです。よし!殺せた。そんで「よーしこれでダチョウ買えるぞ!」ってウキウキし始めるんですね。こんながんばってダチョウ一匹かよって思うんだけど、主人公はもうウキウキなんです。最初はウキウキだったんです。最初だけ。ところが、もう一匹、殺したあとで、疲れてくるんです。そんで助っ人みたいにべつのアンドロイドハンターが「手伝いますよ」みたいにくるんですね。おーそうか、じゃあ一緒にやろう。ってことになって、そんでそいつと一緒に、二匹目のアンドロイドを「さー殺すぞ」ってことになるんです。ところが二匹目、アンドロイドなんですけど、コンサート会場で歌ってるんですね。のんきに歌ってるんです。アンドロイドが。そんで主人公も何の感情もなく殺しちゃうんだけど、殺したあとで、ちょっと「あれ?・・・なんやろう」「この罪悪感」・・・みたいな。「あいつアンドロイドやったけど、アンドロイド屋やから殺したけど、あいつ・・・歌うまかったやん。」みたいな。「あいつの歌声、すんでたやん」みたいな、ちょっとナーバスになるんですね。心が一瞬、ぶれかけるんです。でも「いや、そんなことよりもペットや」って気持ちを切り替えるんですけど、途中で、さっきの助っ人がアンドロイドだってことが判明するんです。えーってびっくりするんでけど、どうやら敵のアンドロイドではない。あーよかったって思ってたら、どうもその本人、自分がアンドロイドだってことに気づいてない。それなのに「アンドロイド殺しにいきましょーぜー兄貴」とか言ってるんです。自分がアンドロイドなのにアンドロイド殺しに行きましょーぜ。とか言っている。主人公それ見て「こいつ・・・アホやんか」って思うんです。けど、黙ってるんです。なんかかわいそうやから。言ったら本人傷つきそうだし。そんでまたそいつがすげー人間くさいんで、またグラッと揺さぶられるんですけど、気を取り直して、「ペットや」「俺はペットが欲しんや」「いつまでもニセ羊のままくすぶってるられん」って、殺してる途中で、もうガマンできなくなって、ペットショップに直行。そんで結果的に「本物のヤギ」買うんですよ。よっしゃーーーーーーー!!!!ついに、買ったで。本物や!ついに、きた!!!本物の動物や!!!って主人公ハイテンション上がりまくりで。もう気が狂ったように嫁に電話して「おい、おまえ、ついに本物のヤギやで、ホンモノのヤギや!!!」って自慢するんです。嫁も大喜びして「あーホンモノなの!? ほんとに本物なの? あなたついにやったのね。今日はパーティーね」みたいな感じで、そんで家に帰って、買ってきた「ヤギ」にエサあげたりするのを夫婦で眺めながら、ほっこりしてるんです。「かわいいね」とか言い合って。この段階で、主人公、もう「仕事辞めてねぇな」って思ってるんです。
 殺してるうちに、アンドロイドに同情し始めるんです。「アンドロイドにもいいやつおるやんって」思い始めるんですね。でもその間、嫁が「今度、うちではヤギを買いましたの。是非ご覧になってください」ってご近所に見境なく自慢してるんです、それ見て、どうせ、やるなら。ホンモノの羊が欲しい。ヤギで妥協は、いやだ。それで意を決して、「おれ、もう一回いってくるわ」ってまだアンドロイド殺しに出かけるんですね。で、しにもの狂いにがんばってアンドロイドを6体やっつけるんです。 でも途中でやっぱり心が折れるんです。何が起きたかのというと、
 アンドロイドの一体が、好きな子にすごい似てたんです。でも罪悪感が心にのぼってきて、「もうほんとに限界だ。この仕事、つらい。やめよう。やめるぞ」って、アンドロイド殺し終わって、疲れ果てて家に帰ったら、嫁それで余計、気分が死んじゃうんだけど、もうそのころには「ニセモノに生命はある」と気持ちが変わっているんですね。もうニセモノとかホンモノとかどうだっていいじゃないか。と。これあれんあんです。「ナチス」を表してるんだよね。
 アンドロイドは電気羊の夢を見るか。「ペットが欲しい」という設定の妙。動機。そしてところどころに笑いを誘う、シュールな小説です。本当に笑えるSF小説でした。未読の方はぜひとも読まれることをおすすめする。

  

  

 

  なんか最近、中々おもしろい小説を読んだのでみなさんにこの春ぜひとも「オススメしたい」小説を2冊紹介してみたいと思う。今回オススメする小説はミシェルウエルベックという作家の作品だ。がっつりネタバレしても特に魅力を損なわないフシギな作家だ。

 というのも私は最近この作家にハマっているのである。ミシェルウエルベックは、知る人ぞ知るというか、文学好きの間でも高度な小説を書くので文学的素養のない人間には手が出せない作家なんだけど、けっこうグサッと男の内面をえぐるような作家で、内容はむずかしくて衒学的なのだが、けっこうおもしろく読みやすい。特に最初に呼んでほしいのはデビュー作からだ。

 

闘争領域の拡大

闘争領域の拡大

 

 これはミシェルウェルバックのデビュー作と言われている。最初、このタイトルにつまづく。闘争領域の拡大。なに?って思うでしょ。でも、これ、すごい深い意味があるんですよ。まーどんな話かというとですね。サラリーマンが主人公なんですね。34歳ぐらいのフツーのおっさん。で、このサラリーマンは、一生懸命働いてる会社員なんですけど「ぜんぜん女の子にモテない」ことをずーーーーっと悩んでるおっさんなんですね。何をやっても女にモテないが辛いと、「なんで俺はモテへんねん」ってずっと世の中を呪詛してるおっさんなんです。で、そのことにめっちゃ腹立って、とうとう、このおっさんモテへんからついに変なこと考えだすんですよ、俺がモテへんのは、女の子をモテるやつが独占してる社会がおかしいと。貧しい人にお金は分配されるけど、モテるやつが女を独占するモテ格差は分配されずモテと非モテの貧富の差がますます広がっていくばかりだと。だから、社会が悪いんだと。そんなことを真剣に考え始めるおっさんなんです。アホやなーって思うでしょ。で挙句の果てには「モテない人間に女を分配すべきだ」って考え始めるんです。でもやっぱり世の中そうならない。それで結局、むしゃくしゃして、このおっさん、何をするいうたら、モテるやつを、殺そうとするんです。腹立つから。なんでやねんって話なんやけど、モテ男をバーで見つけて背後にしのびよってナイフで刺し殺そうとするんです。そのあとの展開はあまりにトホホななので本書を読んで楽しんでもらいたいのだが、でも最後まで「闘争領域の拡大」って何のことかイマイチわかんないでしょ。ところが次の作品である「服従」を読んでそれが分かるようになってるんですね。 

 

服従

服従

 

 これはミッシェルウェルバックの一番有名な代表作なんだけど、ちょっと難しい小説なんですよ。というのも、ストーリーは劇的なのにずーっと主人公の脱力系の一人語りが続いていく小説なわけ。どんな話かというとね。主人公は、インテリのフランスの大学教授のおっさんなんです、で、このおっさんは、モテる人なんですけど常に人生に不満を抱えてる性格のおっさんなんですね。俺の人生これでよかったのか、って心の中でずっと思ってる人なんです。で、このころフランスでは大統領選が始まっていてマリーヌルペンとイスラム教徒の代表者が争っているって設定なんですね。

 

 で、このフランスは今イスラム教徒が増えてすごく困ってるわけです。ついにフランスの大統領選にまで上り詰めてくるぐらいイスラム教徒の人口が増えちゃったわけです。で、フランスの理念とは相いれないイスラム教がたくさん入ってきてフランスは困った状態になってるんやけど、ところが、この主人公のおっさんは特に政治に興味がないのか、ほげーっと見てるだけなんです。ところがボゲーっとしてるうちに、イスラム教徒の代表がルペンに勝ってフランスの大統領になっちゃうんですよ。

 そしたらイスラム教徒が勝った瞬間マンガみたいなスピードでフランスがイスラム教一色の国みたいになっちゃうんです。男は一夫多妻制だー。ってなって女性はヴェールをかぶりなさい。って急速にイスラム社会化していくんですよ。

 ところがそんな状況にも関わらずまたほげーっと、見てるだけなんです、主人公は。ところが小説のラスト。最後の最後でなぜか主人公はイスラム教に改宗して、ヴェールをかぶった女性を見ながら恍惚に浸る、ってシーンで突如終わるんですよ、この小説、いきなり。

 意味がぜんぜん分からないわけよ。最初読んだ時は。何を訴えたいのか、とか考えるんだけど、まったくわかんない。呆然としますよ。最初は。

 実は、タイトルに意味が込めてるんだけど、この小説、実は、徹底的にフェミニズムを攻撃してるんですね。この主人公は、フェミニズムが社会にとってのガンだと。そういうふうに思ってる人間なわけ。

 つまりミシェルウェルバックさんはこう言うてるんですよ。こういう男が増えると、こういう窮屈で父権主義的な世界になるぞ、

 闘争領域の拡大とは、女性の社会進出によって奪われた本来持っていた男の領域、という意味なんですね。なぜフェミニズムを嫌悪してそれがイスラム教に改宗するのか、というと、
 つまり子育てをしていた女性たちが食い扶持を稼ぐ時代になってしまったことで、男の価値が相対的に下がってしまった。と言うことを肌感覚で実感している主人公は、かつての「男らしさ」を取り戻すために、イスラム教の女性の社会的向上を認めない価値観の内面化することによって女の人権を後退させ、女に奪われたテリトリーを奪い返す話をこの作品は描いてるわけや。
 狩猟時代は腕力のない女は弱かった、しかも女性は銃乳したりするから食べ物を取りに行けないから男が代わりに食料を取りに行くわけです。ゆえに必然的に男が生命線になって、こんどは女性が決めるべき結婚制度や財産権などの諸制度を、男が決めれるようになったんですね。これが家父長制と言うわけや。女性は、男に全面的な服従を強いられ、子育てのための労働力を生む手段として、役割を背負わされます。つまり国の統治と軍事に参加できなくなったんです。ところが歴史が進歩するとこうした状況が変わっていくわけや。上水道が普及すると粉ミルクが発明され、育児から解放される女性が増えたわけ。女性以外でも男性でも十分に子供が養育可能なったからだ。しかもトラクターやパソコンが生まれて、生産技術の向上により、女性も男のように働けるようになった。フェミニズム運動が始まります。女が進出してきたことで脅かされると男の地位の喪失。女に奪われた全能への欲求と男性が知る不能という現実との解消できない矛盾を、ひたすら男が解消しようとすると不可避的に新しい専制主義に加担することになると。そういう警告の書でもあるわけや。それに混迷する中年男性の苦悩をミシェルエルバックさんは執拗に描くわけや。彼らは悲劇的でもあり滑稽でもあるが、彼らのような非モテを、ミソジニーや、殺人などの間違った道に行くのは半違ってると。でもミシェルウエルバックは、そういう非モテをあしざまに切り捨てず、彼らを救う方法はないだろうかと考えてるわけや。女性からモテない男をどうするか、彼らが、有意義に生きる社会システムはあるのかとずっと考えている人が、彼らがうまく適合できる論理的な社会システムは存在するか、と言う事をずっと考えている作家なんです。そこらへんに、ちょっと好感を持ってしまうんやな。そういう予備知識があれば難解な小説もすっと入ってきて分かるようになるから、とりあえずこの二作を読んでみるのが、おススメです。

 

 

闘争領域の拡大 (河出文庫)

闘争領域の拡大 (河出文庫)

 

 

服従 (河出文庫)

服従 (河出文庫)

 

 

 


 

   

 インターネットで、ここ最近、自分の書いたものの反応を「見たくない」という病気にかかってしまっている。5年前、自分の影響力は、ネット上でもほぼ僅かだった。何を言っても無反応。誰にもリツイートされないのが基本的には普通の状態だった。自分の書いたものが誰からもリアクションされないのは確かに苦しい状態ではある。インターネットをやっていて誰もが辛い部分だろう。このまま反応がなければツイッターなんかやめちまえと思う時期もあったのだが、春樹レビューを契機にツイートが拡散され始めるとだんだんフォロアーが増え始めネットが生きがいのような場所に変貌した。自分の発したコメントが拡散され「いいね」される光景を見るのは確かに嬉しかった。夢にまで見た他人の反応に心が浮き足立った。ところがである。去年のおととしぐらいから。これは変だ。なにかがおかしい。と変調を感じるようになった。自分の自信を持ったツイートがスルーされて余り力の入ってないコメントが拡散する。という現象に度々遭遇する度に心の中の自分のメンタルが痛みを発するようになったのだ。自分の出した文章はある程度の期待値があるのだがその期待が裏切られるとストレスが溜まり、それが積り重なって、やがて結果的に、自分の書いたもの反応を見るのが病的に怖くなってしまったのだ。今その拒否反応が過敏にぶり返してきて、身体が「他人の反応を、拒絶」し始めたのである。「無反応」こそ煩悩にとらわれず創作に集中できる最高の環境だったのだ。今は「無反応」が自分にとって一番幸せな状態だと体が判断しはじめたのである。結果を見たくない。そういう悟りの境地になってしまいました。

  商人欲求だけが創作のエネルギーだったが次第にそれでは続かないということが分かってきた。文章を心置きなく書いていく上での鉄則は、「他人に見せない。感想を聞かない」これに尽きるのではないか、と思うようになった。

批判意見も聞かなくていい。もっと言うなら、誉め言葉が最も必要がない。誉め言葉は一度聞いてしまうと毒素のように脳の敗戦からど

 今はとにかく、結果を見るのが嫌だ。大学受験を受けて大学の門に掲げられた合格表を見ずに、そのまま帰る。ゴールキーパーがボールを蹴って、自分のボールがゴールに入るか、入らないか、わかりそうな瞬間に、そのまま帰る。短距離走でクラウチングスタートを切って自分の記録が電子版に出る前にそのまま走って帰る。トランポリンで華麗な跳躍を披露したあと審査員の採点が出そうになる瞬間にそのバネの反動を利用してそのまま帰る。
 好きな人に告白しても、向こうの反応が帰ってくる前にそのまま帰る。
 そのまま帰る。結果を見るのが辛くなったので、結果を見ずに、そのまま帰ります。 死ぬまであと50年。結果を見ずに、生きてゆこうと思います。

  

 

 

   じつは最近例の宗教「幸福の科学」にかなりハマっている。ネット民から幅広い支持を受けている幸福の科学。だが「幸福の科学って何なの?」と思っている人は多いのではないだろうか。有名な教団だが、その教義は意外にあまり知られていないところが多い。で、そこで今日はまったく幸福の科学を知らない人に向けて私が自分なりに幸福の科学の世界観をわかりやすく解説してみたい。と筆をとった。幸福の科学って知れば知るほど魅力的な世界観なんだよ、と知ってもらって幸福の科学の世界観に親しみ共感を覚えていただけたら嬉しい。

 ではまず最初に「幸福の科学とは何か」について。もちろん宗教だ。宗教なので来世を説く。みんな死んだらどうなる?という疑問。に対して、幸福の科学は「ひとは死ねば天国か地獄に行ける」とシンプルな回答を提示する。幸福の科学が言うには、人は死んだら皆、ふわあ~と三途の川みたいなところに連れていかれるらしい。で、三途の川についたら、こんどは空から天使みたいなのが来るんやって。で、その天使にアテンドされ、なぜかその天使に映画館に連れていかれるのだと言う。そこで天使と一緒にある映画を鑑賞することになるのだが、そこで上映されている映画が驚くべき内容で、自分の行いを2時間に要約した映画が上映されているらしい。その映画を天使と一緒に見ながら最終的に自分が生前行ってきた「善い行い」をひとつひとつ神様に数えられそれから自分の行くべき「階層」を決められる、というのが幸福の科学の死生観だ。幸福の科学の世界は、あの世にも「カースト制がある」と主張する。

 上に行けば行くほどビックな神様が沢山おるらしい。いちばん上には、イエスがおって、更にその上には幸福の科学が「神」と崇める「エルカンターレ」が存在する。エルカンターレとは何者か。じつは何冊読んでもよく分からないのだが、幸福の科学的に、神様の中でも最も位の高い神様なんだそうな。イエスが「父」と呼びムハンマドが「アッラー」と呼ぶ存在。それがエルカンターレだ。で、このエルカンターレが現世に宿った姿が、なんと大川隆法らしい。だから大川隆法はものすごい人なのだ。どのぐらいものすごいかというと、マザーテレサが亡くなったとき大川隆法がマザーテレサとコンタクトを開始したらしい。天界に昇ってこないマザーテレサを不思議に思い話しかけたそうな。それだけでもすごいのだが、その仲介役に呼び寄せたのがなんとイエスキリスト。イエスキリストを顎で呼び寄せマザーテレサにコンタクトを開始。
 「どうして霊界に戻らないか」と大川隆法が聞くと、マザーテレサが「スラム街に戻りたい」と吐露。そしたら大川隆法が「霊界に返った以上は、霊界の作法を学び、もう少し勉強しなければならないのだよ」とマザーテレサをこんこんと諭したと言うエピソードもある。
 だれもが思う所だろう。何でマザーテレサにこんな上から目線なのか。と。だが大川隆法ぐらいのレベルだとマザーテレサなんか、下々の民。フリスク買いに行かせてええぐらのレベルなのだ。( ちなみに幸福の科学の(神ランク)では、マザーテレサより。景山民男の方の上らしい。なんでやねんw)
 そしてそんなエルカンターレの「幸福の科学」をいま一致協力して世界の霊神たちが支援していると言うのだ。なんでそんなすごい教団が、こんな小国日本で、イロモノ扱いされているのか理解にしにくい部分だが、とにかくそういうことらしい。

 そして幸福の科学で特筆すべきなのはやはり「守護霊」シリーズである。まじめに読んでいる人はどのくらいいるだろうか。今回の企画のためにわたしも何冊か読んだのだが、わたしが特に好きなのが、ローラ降臨である。

 

ローラの秘密 (OR books)

ローラの秘密 (OR books)

 

 

 「ローラ降臨」は、ローラの人気を探るため大川隆法がローラの守護霊を降臨させる企画。なのだが、すごいのが大川隆法がローラの事をまったく知らない。だからローラの守護霊がふぁ~と降りてきても「ふーん」とか「知らな~い」みたいなことを言って逃げる時がある。「将来の夢は」と尋ねると、「歌だけじゃなくて、ファッションとか~、いろんなことを通してみんなをハッピーにしたいの」というなんとな~くローラっぽい返答で全編進行する。「パワーの源泉はなんですか」って聞いたら「やっぱり、太らないように、すごく栄養管理とかしてる」とか、すごくどうでもいい会話が続いたりする。

そして延々とローラとのやりとりが続いたあと最終的に「ローラが人気の秘密は?」と司会者に問われた大川隆法は「容姿の可愛さが大きいのではないでしょうか」と結論付ける。こんだけ会話して秘密が「容姿の可愛さ」かいwみたいなズッコケる内容なんだけど、守護霊シリーズでの忘れられない一冊と言えばコレだ。

 

 

映画「君の名は。」メガヒットの秘密 新海誠監督のクリエイティブの源泉に迫る (OR books)

映画「君の名は。」メガヒットの秘密 新海誠監督のクリエイティブの源泉に迫る (OR books)

 

  あと忘れてはいけないのは「人気なものにはトコトンあやかっていく」幸福の科学の精神だ。「君の名は」メガヒットの秘密」では、新藤誠の守護霊を呼び出してヒット作の裏側を探ると言う実に「あやかり」商法な企画なのだが、内容自体も酷くて、新海誠の守護霊がふわーッと降りてくるのだが、途中で、何故か「私なんかよりもーあなたがたの方が、先端性があるところを攻めている」P157とか、新海誠の守護霊が幸福の科学をやたら褒めだす。しかも最後の方では、大川隆法自身が「おそらく、この人の友達か、指導霊か何かに(幸福の科学)と関連するような方がいらっしゃる可能性があります」P186と何故か、新海誠を強引に幸福の科学の「関係者」認定してしまう。きつすぎるだろう。このように人気のあるものにはあやかり時には「関係者にしていく」幸福の科学。

 最近発売された樹木希林の守護霊インタビューも酷い。何故か樹木希林が降りてきて早々「すばらしい。評判のいい宗教だなと思ってました」P37と幸福の科学をやたら称賛。「大川隆法先生は本物だと思っております」P131もう死人に口なしをいいことに、言わせたい放題やりたい放題である。樹木希林にまで無理やり教団を誉めされる幸福の科学。ここまで来ると清々しいものを感じないだろうか。

 

 で、ここでみんなの素朴に疑問を持つだろう「幸福の科学は一体何を目指している団体なのか」という事だ。結論を言ってしまうと、幸福の科学は、日本を宗教国家にしようと目論んでいるらしい。「人々が信仰し神の愛を等しく自覚する」存在になることを幸福の科学は目指しているらしいのだ。とくに言及すべきポイントは、そのためにマルクスレーニン史観の排斥を唱えている部分だ。マルクスは「宗教はアヘンである」と断言して格差から目をそらす宗教を全否定した。このことを自己の存在が否定されたからなのか猛烈に幸福の科学は攻撃の対象にしている。幸福の科学の世界観ではポルポトやスターリンは地獄行きらしい。

 したがって守護霊シリーズに「志位和夫」降臨という一冊があるのだが、日本共産党に対する批判も手厳しい。志位和夫の守護霊を大川隆法が呼び寄せる企画なのだが、志位和夫の守護霊に「政権をとったらまず何をするか」と聞くと、志位和夫の守護霊が「天皇の処刑」と答える。もうこの時点で笑ってしまうのだが、そのあと何をするかと質問すると、「安倍一族の処刑を実行する」と答える。志位和夫の守護霊、びっくりするほど畜生なんである。ドラゴンボールの悪役並みに陳腐化されている。しかもこれを志位和夫の「本音」と銘打っているのだから、もう完全に名誉棄損案件である。このような「左翼憎し」の思想が共鳴してか幸福の科学は、安倍政権を「反共」という共通項でバックから熱く支持する姿勢をとっている。

 幸福の科学出版の「スピリチュアル党首討論」では、幸福の科学の党首と安倍総理が熱く議論をぶつけ合う。という内容。なのだが、なぜか安倍晋三本人は出てこない。出てくるのは安倍晋三の守護霊という内容。スピリチュアルで呼び出した安倍総理の守護霊が出て来て開口一番「新総裁になれたのは幸福の科学・幸福実現党の活動のおかげです」と言わせる。(ひっでーなこれ)しかも、この表紙で安倍総理の守護霊て、どう見てもパケ写詐欺である。

 このようにして幸福の科学はいま政治の世界にも活動の場を広げその影響力を拡大しようとしている。実は、安倍総理より先にトランプタワーに行ったのは大川隆法らしい。ホントかどうかはよくわからないのだが、400冊以上あるのでその全貌はこの記事だけではお届けできない。次回またみなさんにお届けしたいと思う。これからも幸福の科学の目まぐるしい活躍に益々目が離せない。

 

   

 

 いま日本の書店で「劇場」がやけにバカ売れしてるらしい。「うんこドリル」と売り上げを競っていると話題だ。日本の未来をこの時点で憂いたくなる現象だが本屋に行けば「劇場」が何十冊も平積みされてある。私は色んな小説が好きだが「恋愛小説」だけは読めない。だから今回、立ち読みで済ませようと思っていたのだが、表紙に惹かれて読んでみたらページをめくるごとに暗い気分になった。又吉の劇場。読み終わって感じた率直な感想を言うと、私はこの小説がまったく好きではないのだ。でも、ちょっと地味な内容で、すっごい地味な内容で語りにくいんだ。まー、なんつったらいーのかな。かんたんに説明すると「女の子と知り合った売れない作家が女の子と仲違いをした後に、やっぱり仲直りする話」。これだけの話なんだけど。どう考えても主人公の行動が今作もおかしい。前作同様にダメダメで、しかも前作と違って「ツッコミ役不在」のため読者が主人公の行動に脳内で失笑していかないと面白くない小説になっている。人間の距離感が下手すぎ。というか引きニート特有の自意識過剰っぷりがすごい。街を歩いていて洋服店に入ってもジロジロ店員が自分を見ている気がするので、ぜんぜん欲しくもない藤色のタンクトップを買ってしまう。すばらしいほど自意識過剰。ヒロインに一目ぼれして街で声をかけようとするが、その声のかけかたもおかしい。「靴、同じやな」(P12)なんでそんなとこから入るん!?とひっくり返るレベル。そんでもって彼女の部屋にナンパに成功して行くのだがそのまま彼女の部屋に居着き始め何故か工事現場のブロックを持ってくる。理由を聞くと「なんかの時に使えるやろ」と答える。なんかの時って何やねん。家族から「りんご好き」だと思われてるが実は梨がめっちゃ好きで今更「梨が好きだ」とも言えないから家族の期待に応えるために必死で「なし」に興味がないふりをがんばっている。もういろいろ努力の方向がおかしい。会話の途中でクリントイーストウッドを褒めたらめっちゃ機嫌悪くなる。なにをライバル視しとんねん。そんでヒロインを働きに行かせて自分は完全にニートになってしまう。仕事を探そうともしない。しかも恋人が女友達と遊んだことに嫉妬して、恋人に暴言を吐いたり、ヒロインがバイト先で借りた自転車の持ち主に嫉妬して自転車を壊したり、なんか。この小説。パワハラ男が勝手にパラノイア的な被害妄想を抱いて女の子に迷惑かけてるだけ。なのである。なんか読んだあと、すごい徒労感があったんだが。なんでおっさんの被害妄想につき合わされなあかんのやろ。
 しかも散々ヒロインを傷つけたにも関わらず、なんか最後はいい感じになる。
 二人で夢を語るシーンで最後は終わる。海外で一緒にテーマパークに行こう。とか言い始めて最後は「ルーフバルコニーがある大きな家に住もう」(P206)とか主人公が言い始めて、いや、知らんがな・・・。 
 こういうダメな主人公を許容しちゃう。こういうダメ人間を献身的に支える女の内面にもっと迫っていれば面白かったんじゃないかと思うんだけど。読んだあと本当に疲労感でいっぱいになって思わず「うんこドリル」を手にとったら、例文が全て「うんこ」で例えられていて解放されたような気分になった。うんこドリル最高。

 

劇場

劇場

 

 

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