結局はあちゅう騒動とは何だったのか。

 

 はあちゅうのセクハラ騒動が、7日間の炎上の末ようやく本来の落ち着きを取り戻そうとしています。しかし、あれほど騒がれた氏の炎上でしたが「結局はあちゅう騒動とは何だったのか」といまひとつ結論が見いだせない方もいるのではないだろうか。と思います。実は、ぼくもそのひとりでした。というより、はあちゅうの告発は、誰がどう見てもはあちゅうは「被害者」で岸が「加害者」なのは当たり前なのですが、そのあとに来たはあちゅう批判(童貞いじりの件)そしてその批判にカウンターを入れるはあちゅう擁護派も微妙に「どっちもピントがズレている」意見の方が多かったんですね。ですから論点がばらばらに混戦してわけが分からないことになった、というのが今回の、印象です。ひとつひとつ見ていきましょう。まず。はあちゅう批判です。ひどいものがたくさんありました。まず、はあちゅうは「本を売るための売名行為だ!」とか、そんなのは内心の問題ですから、はあちゅう批判にもならないと思います(かりに売名行為であったとしても「それがなんだ?」と僕は思うのですが)そういう批判はくだらないのでやめましょう。あとこういう意見もありましたね。「それでもやっぱりはあちゅうに同情できないはあちゅうハイスペックだから叩いていい。だそうです。意味が分かりませんw はあちゅうがどれだけハイスペックだろうが、パワハラの『傷そのもの』は、普通の人とそれを同じでしょう。お前は強者なんだから甘受しろ。セクハラを訴える資格がない。みたいな風潮もあってとても不愉快でした。あとこういう批判もありました「真面目に生きてきた女性の一人としてセクハラ問題に思うこと」これもけっこう拡散してましたけど、間違ってるでしょう。「女を売った」という事実でセクハラ被害が免罪されることはまずないですし「便宜を図ったから」という主観的なレッテル張りをすること自体が、女性の偏見を助長しかねない考え方だと思います。山本寛とかひどかったですねぇ。これとかさ。セクハラ2 べつに自分が訴えられたわけでもないのに「弱者のファシズムー」となにをおおげさに息巻いているのでしょうか。この人は。よっぽど後ろめたいことがあるんでしょうね。あとこういうのありました「女友達をいけにえに差し出したー」とかもありましたけど、それは岸がそれだけ追い込んだのが原因であってはあちゅう本人にすべての責任を負わせるのはあまりにも酷でしょう。このように批判意見のほとんどがピントがずれていて読むのも疲れるものばかりなのですが、ところが、はあちゅうの擁護派もねぇ。一言でいうと、アホばっかりなんですよw 自分を擁護するツイートをリツイートしまくっているはあちゅうですが、問題なのは、それが全員アホばかりなのが問題です。田渕慎太郎とか広瀬隆雄とか、どうしてこんなトロピカルなバカを集めてきた。というほど馬鹿です。Twitterには素晴らしい擁護コメントがあるのに、なんでこんなバカを集めてきたのでしょう。「童貞」と言うフレーズだけに引っかかって全然論点を理解していない広瀬隆雄は論外ですが、問題は、田端慎太郎の発言です。 童貞が居たら人類は絶滅してしまうのだそうです。すごいですねぇ。人工授精とかがある段階で主張の論拠もガタついてますし、もうアホすぎます。しかも童貞は「努力の問題」だそうです。まずその前提も間違っています。何らかのメンタルの問題があって異性と触れ合えない「性的マイノリティー」「対人コンプレックス」「男性恐怖症」の方は大勢いるのに「童貞なのは努力が足りないからだ」と言い切る田端信太郎の世界観は、端的に言って狂ってると思います。童貞は属性ではない。童貞は「努力の問題」だから、セクハラには値しない、だから好きなだけ嘲笑してもいい、というのなら未婚女性だって努力が足りないから嘲笑してもいいことになります。処女だって、努力が足りないから、好きなだけバカにいていいことになります。学歴差別も横行しかねません。パワハラを助長しかねない発想なんです。パワハラを告発したはあちゅうが、なぜパワハラを助長しかねない人間をリツイートするのは、ちょっと理解不能なのですが。はあちゅう氏はこのような「筋の悪い連中」をリツイートして、更にガソリンを注いでいきます。しかし僕がいちばん気になったのは彼女のこのツイートです。

 

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 このツイートがとても気になりました。はあちゅう氏の「理想の童貞」がカミングアウトされているそうです。それはおもしろそうだ。ぜひ読みたい。さっそく本屋に行って読んでみました。はあちゅう氏の「通りすがりのあなた」という短編集の収録作「友達なんかじゃない」という短編でたしかに「理想の童貞」が描かれていました。どんな話かと言うとですね。海外に短期留学をする女の子が主人公なんですね。で、一緒になった「佐久間」くんっていう子と知り合うんです。で、この子が、また童貞なんですね。ずんぐりむっくりしてて全然イケてない。それでヒロインは、この「佐久間」くんのことをとにかく小ばかにするんですね。「さえない童貞男のくせに」とか、とにかく「童貞いじり」でボロカスに言って彼をからかうんですね。でも、いろんな旅行先での触れ合いを通じて、あるとき佐久間くんが、ホットドックを食べてたんです。それを一口ちょうだいとヒロインが言うと、佐久間君がびっくりするんです。それじゃあ間接キッスになるんじゃないかって。その姿に、ヒロインはキュンとやられちゃうんですね。童貞ってキモいけどなんてうぶなの!みたいな感じなんです。そんな感じに終わっていく淡い短編小説だったんですけど、ただ問題は、主人公の「童貞は○○である」という誤った偏見は、最後まで否定されずに終わっていきます。ここがはあちゅう氏の言動が逆鱗に触れるポイントではないかと思いました。「童貞いじり」と弁解して炎上してましたが、はあちゅう氏のそれは「童貞煽り」にしか見えないことが問題なのです。はあちゅう氏の童貞へのツイートを改めて見ても「30を過ぎた童貞は嫌な奴になってる」と共感してるのもはあちゅうさんです。これも完全なレッテル張りです。レッテル張りは、努力より何かしらの心的な問題で異性と触れ合えない人にもレッテルを向けていることになるので完全にアウトです。あとこういう擁護意見もありました「セクハラとは個人に向けたものであって、不特定多数に向けたものはセクハラに値しない」。これはネット上でも議論が分かれてした。はじめに結論を言うと、私は、セクハラは「不特定多数」でも成立すると思います。どんな蔑視表現も不特定多数ならOKでしょうか。「羊水が腐る」もアウトですし「女は産む機械」もアウトでしょう。ナチスユダヤ人への蔑視感情を表現にしたように、表現と言うのは、人々の行動の基準を決める影響力があります。だから表現だから何でも許されるという考え方はちょっと危険だと思うんですよ。はあちゅう氏のように影響力のある男性が「30を過ぎた未婚女性は嫌な女になってる」と言ったらそれがTwitter上で拡散されそれを元にセクハラ発言をする男性も出てくると思います。表現は偏見を生み出し、偏見はセクハラを産む。そういう悪循環のサイクルが存在するなかで「表現とセクハラは違う」というはあちゅう氏の謝罪撤回は「私はセクハラを許さないが、セクハラの根源である偏見は発信していく」宣言のように見えたんです。もし本当にセクハラを撲滅したいのであれば岸を訴えると同時に「偏見」もなくそうと訴えてればちゃんと筋が通っていたと思います。ミートゥー運動に「童貞でからかわれた人も告発していこう」と言っていればアンチを静まらせていたでしょう。で、これを言うと、かならずこういう意見が出てきます「嫌なら見なきゃいい」という人です。これも論外です。嫌でも目に入ってくるがネットです(実際ぼくもはあちゅう氏の事は知らないですがかなり目に入ってきました)。 嫌でも見るなはネット上では原理的に不可能でしょう。あとこういう意見もありました「表現の自由の侵害だ!」というのもありました。これもナンセンスです。表現には批判する自由もあるし表現者には反論する権利もあるんですよ。堂々と反論すればいいんですよ。納得いかなければ。だから表現の自由の侵害だ!にはあたりません。で、これを言うとこういう意見がでてきます「受け止めた側が不快に感じたことがセクハラ」なら日本中で「言葉狩り」が始まってセクハラ告発社会になってしまうじゃないか」という人です。これもぜんぜん違います。まず再度繰り返しますが「反論する権利」もあるんです!「いやこれはセクハラじゃない」「表現の自由だ」という権利もあるんですよ(ですから、はあちゅう氏が「表現だ」と言うのは別に間違ってません。正しい。姿勢としては。が、その正当化の論理がダメなので叩かれているのです。そもそも反論意見にもまともに答えてないから叩かれているんです) だから「言葉狩り」になる世の中を憂う必要はないと思うんですよ。

 また「はあちゅうは被害者なんだ」。被害者を今は叩くな。という意見もありました。これは半分正しくて、半分間違っている。はあちゅうは確かに被害者です。当たり前です。でも「今言うな」セクハラ男もそれを言うでしょう。俺だって会社の被害者なんだ。お前にセクハラしちゃったけど、それは会社のストレスのせいなんだ。そっとしといてくれ。これをいわれた方がどう思うでしょうか?「被害者を咎めるな」この意見を全否定はしませんが、それが極端に傾くとパワハラ被害者を今度は「被害者」という大義名分で抑圧させる人間が出てきますから結構危ういと思うんですよ。「誰もが被害者にも加害者になりえる」と考える方が、セクハラ案件を減らすうえでは有効なんじゃないか。わたしは被害者である。と同時に、加害者にもなりえる。ぼくだって加害者になりえる。(僕だって昔の記事なんか見たら、ひどいこといっぱい言ってますからね。もし傷つけられた人が居たら謝罪します)

 以上、幾つかの論争を見て「はあちゅう擁護派」「否定派」のここが変だぞ、と思ったところを書いてみました。結論をいうと「はあちゅう氏の言動はセクハラであるが、はあちゅう氏の受けたセクハラも断固として糾弾されるべき」というのが今の結論です。

  

 

通りすがりのあなた

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