朝井リョウ「何者」は本当に就活生の現実か・・・。

 以前当ブログにコメントいただいた方から「朝井リョウはほんっとつまんないです!リア充ばっかでマジで虫唾が走ります!」という暑いコメントをいただき、「なにぃ!!?そんなにリア充なのか・・・それはカタッパシからブチのめさねばならんな・・・」とふと思い立ち、と同時に「はて・・・朝井リョウとな・・・?」と聞きなれない名に記憶を巡らしました。正直、その存在はうっすら知っていましたが、臭いものにはフタの原理で見ないようにしていたフシがあります。というもボクと朝井リョウは同い年です。同い年であるのにも関わらず、一方は直木賞作家、もう一方は大学中退作家志望もどき無職・・・です・・・。こんなおぞましいことがあっていいのかと・・・。ハードすぎる格差です。悔しすぎて笑えてきます・・・。現代版カインとアベルです・・・。神様のいたずらも度を越えています・・・。
 
 しかも「朝井リョウ」ってぐぐってみたら、なんかイマドキ風のチャラ男がしゃしゃり出てきました。「こいつが朝井リョウか・・・」と下唇を噛み締めながらwikiを見てみると早稲田卒!ダンスサークル所属!と書いてあります・・。もうこの時点でボクは朝井リョウ氏にたいしはっきりとした恨みを感じています。ツイッターのフォロアーは10000を越していて(ボクのフォロアーは18です・・・)しかもなんか27歳の芹那似の可愛い編集者さんから「直木賞おめでとう」「嬉しくて涙出そうだよ」とか言われちゃってます・・・。直木賞、早稲田、チョイイケメン、ダンスサークル、芹那似の可愛い編集者からの激励、<大>なめてます!!! こいつは人生を舐めてます!!!普通の人が一生で送るさいの、もう108倍ぐらいの栄光を弱冠23歳で手にしているこの中途半端なルックスのチャラ男、許せません!。こんなやつの書く小説なんぞ面白くないに決まってるじゃないですか! ・・・・いや・・・しかし・・・世間では評価されている・・・ボクが何を決めつけようと向こうにはカスリ傷ひとつつけることができません・・・。そこで考えました。「そうだ!書評で取り上げてボロカスに言ってやろう!」と。思い立ったが吉日。さっそく書店で見つけ購入し読んでみたのです。ここでもし、「面白かった」となれば「負け」です。

  

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 


 ページをめくる手が震えます・・・。字面を追うごとに、心拍数が上がっていくのがわかります。10ページ、20ページと読んでいきます・・・。今時の就活生の話です。長編なのに登場人物は5人とスマートで、いずれも就活生です。就活をしたことのない自分、就活のニュースとか見たら吐き気がしてしまう自分にとって、これは痛い題材です・・・。

 50ページぐらい読んで、いったん本を閉じると、ムカついている自分がいます。なんというか登場人物全員が「今時」なのです。みんなほどほどに明るく社交的で、ツイッターとかもれなく全員やっており、バンド活動に精を出すものもいれば、恋愛の悩みに心くもらせる少女もおり、学生劇団にうつつを抜かすハナタレ小僧もおります。なんというか、充実しています。これが俗にいう「リア充」というやつでしょうか。というかこのステレオタイプな今時っぷりにちょっと気持ち悪くなってきます。冒頭シーンからムカつきます。主要登場人物である光太郎ってやつがいるんですけど・・・こいつがもう、なんかバンドのボーカルをやってて、こいつが歌ってるところがら小説がはじまるんですけど、こんな感じなんですよ。

 曲が終わった。拍手がわく。―――コウさーん、と、最前列右側あたりから若い声が飛んで、ほーい、と光太郎が普通に返事をする。~「今日は学祭最終日ってことで、俺たちovermusicにとっては引退ライブです。いやー引退ライブなんてずっとずっと先のことかと思ってたけど、もう今日ていうか今なんですねー」 ~ステージから目を離しているスキに、どっと会場が湧いた。「勘弁してくださいよ~」とギターを抱えたまま照れている光太郎の表情を見る限り、光太郎が誰かにいじめられてるようだ。ドン、とドラマーがフットペダルを踏んで音を鳴らす。「ごめんごめん、次の曲ね、はいはい、怒んなよドラム」

 もう殴りたいです。舌打ちが止まりません・・・。
 しかしここで読むのをやめてしまっては、ボクの敗北になります・・・。
 怒髪天に衝きあげてくるものをこらえながら、先を読み進めます。

 この小説では今時の流行にのっとって、ツイッターが頻繁に出てきます。

 

 就活仲間とみんなで飲み会中。お互いに刺激しあってるなう。

 みんなといっぱい喋って、いっぱい吸収して、今日も良い一日だったなぁ。今まで出会った人すべてに感謝。ありがとう、これからもよろしくね。お酒を飲んで真夜中散歩してたら、こんならしくないこと言いたい気分になっちゃった(笑)
 
 もうひとりの登場人物である学生劇団を立ち上げ活動しているキャラクターのつぶやきがこんな具合です。

 昨日は充実! 来月の公園のメンバーと飲みながら俺んちでブレインストーミング。そしたらみんな酔っ払ってきて気づいたら公園出て朝まで鬼ごっこしたり語ったり。こんな最高の仲間がいることが誇らしい! とか思ってたらこんな時間に起きた(笑)マジ廃人(笑)

 

 こんな具合に、冒頭の15ページで、はちきれんばかりの生き生きオーラを見せつけられます。
 かっぷくのよい今時っぷりです。この屈託のなさ。若アユのような潤いとはねつき。果汁100%の充実っぷりはなんなのでしょう。万年ネガティブフリーターのボクからしたら、未知との遭遇です。「昨日は充実!」なんて生涯で一度もボクは言ったことがありません・・・。これからも言うことはないでしょう。文末に(笑)を二個つける感性も許せません・・・。これはまぶゆすぎます。なんかセラピーを受けているような、そんな気分にさせられます・・・。どこにも、学食ひとりぼっちで人通りのない踊り場で菓子パンを食べるやつは出てきません・・・。みな学食がっつりグループ組むタイプの人種です。正直、こんなやつらの就活事情を見せつけられても、なんの共感もいたしません・・・。勝手にやってろという話です。

 ところが、どこからともなく朝井リョウ氏の声が聞こえてきくるのです・・・。

 リア充で何が悪い?」
 「今時で何が悪い?」
 
 その通りでございます。ボクはこのことに反論するすべを持ちません。
 もしボクの言い分が世間様にまかり通ったのなら、巷にあふれる小説の主人公はみんな社会不適応者or童貞orキ○ガイということになりかねません・・・。よくリア充文学といいましょうか、リア充という絶妙な言葉(これ以外にもう名付けようがない)が出てきてから、ずいぶんこのリア充に対してのやつあたりが厳しくなりすぎてるような気がするんですよね。いわゆるリア充が小説に出てくると、「リア充じゃないかそれは!」っていう非リアの、なんというか、上から目線というか、選民意識というか、こっちのほうが上やぞ、みたいなね・・・。そういう風潮はそれはそれで間違ってるような気がするのですよ・・・。土台「リア充」という言葉自体が、「非リア」の自虐or僻みから生まれたものです。ということはこの小説にたいし「リア充じゃないかそれは!!」という批判は、ただの僻み根性から出たやつあたりということにもなりかねません・・・。

 しかし、このどうしようもない苛立ちはなんなのでしょう・・・。
 人見知り診断テストで80点を叩き出したボクからすれば口を封じられた気分です・・・。
 まるで大学生の姿はこれが普通だと言わんばかりの感じに腹が立ちます・・・。伊坂氏の「砂漠」にも同じことを感じましたが、ボクは大学生がこんな明るい、生き生きしたやつらだけだと思わないし、むしろ友達も彼女もおらず、サークルにもはいらず、誰ともしゃべらずに家と大学とを往復するだけの日々を送る大学生もそれはもういっぱいいると思うのです・・・。しかしそんな大学生にスポットを当てた小説はあまりにも少ない・・・。ほとんど見たことありません・・・。まるで存在しないものにされている気分ですね・・・。

 こういったことから、青春小説と題されたものに「嫌悪感」を覚えます・・・。
 ボクが味わった青春はほとんど描かれていないからです・・・。リア充が出てくるとそれだけで読むのが嫌になってしまいます。やつらが出てくると、リミッターが即座に発動します。正直言うと、リア充が怖いのです。どうしたらいいでしょう・・・。リア充恐怖症です。リア充が出てくるだけで目を伏せたくなります。これは読み手としてダメな態度ではないのかと思ったこともあります。どんな人間が出てきても、そこに自分と共通する「何か」を発見するのが読み手の正しい態度なのではないでしょうか・・・と・・・。斎藤美奈子氏は「小説に共感を求めるな。どんな登場人物だろうと面白かったらゆるしてやれ」という旨の発言をしておりますし・・・。しかしなんていうのでしょう・・・。朝井リョウ氏の「もういちど生まれる」を読んだときにも思ったのですが・・・リア充に興味がわかないのです・・・。人間的に魅力を感じないのです・・・。あぁ、この際ですから、はっきり言いましょう。リア充つまんね。

 しかしそんなことを言ったところで、朝井リョウ氏は、びくともしないでしょう。
 「そういうお前の方が一番つまんないから・・・。オレはオレの周りにいるやつらを描いただけ。何か文句ある?リア充リア充って、おまえそれ、ただの嫉妬だろーが童貞」と・・・。

 その通りなのです・・・。
 リア充であることがこの小説の欠点だとは言えません・・・。
 これを言ってしまえば、まさにこちら側(非リア)の負け惜しみを認めてしまうことになります。
 
 ただ、唯一、この小説のダメなところを挙げるとすれば。それは、この小説の舞台とする大学を一流大学にしてしまったことでしょう。はっきり言いまして、一流大学と、三流大学の就活では、切実さの度合いが違います・・・。ボクは就活はやったことありませんが・・・100社受けて落ちるのもざら・・・。受かったとしても超ブラック企業・・・。三流大学の就活は、少ないパイを取り合う戦場だと聞きます・・・。なのに比べ、今作の舞台とする大学はおそらく作者の通っている早稲田であり、登場人物の何人かは「外資うけるー?」「うけなーい」「じゃベンチャーにしよっと!」などという高い水準の会話をし、なんだかんだで、するっと主人公以外、ほぼ全員そこそこの会社に受かってしまいます・・・。ぬるいです・・・。このご時勢、こんなもんではないはずです。これが就活の現状だというふうな捉え方をされてしまえば、身を切るような思いで就活をしている三流大学の学生たちの気持ちが浮かばれません・・・。この小説で描かれている就活はピラミッドの最高層なのではないでしょうか。

 いろいろ言いましたが、ここまで言っておきながら、どうしてもこの作品を吐き捨ててボロカスに言えない歯がゆさも感じているのです・・・。この小説は後半、みごとにひっくり返されます。リア充どうしの就活? 仲間内の馴れ合い? はいはいよーござんしたね・・・みたいに舐めてかかった読者をぶん投げる展開が用意されているのですよ。
 
 就活をするなかでどうしても浮き彫りになるのが、進路変更における人間関係のひずみでしょう。この小説では、就活をしないタイプの人間がでてきます。これはまさしくボクのような、自己実現の幻想にかかった自分探しタイプの人種です。こういう人間の描き方がこの小説はみごとです。
 「<太>俺はアーティストになれって周りから言われてるんだよそんなん言われてもマジ困るわww」「あぁ君たち就職組・・・あぁそう・・でもさぁ・・・俺は会社に人生を奪われるなんて考えられない・・・。俺は流されたくないんだよね・・・。就職活動っていうなんていうの? 見えない社会の流れみたいものに」「流されるんじゃなくて俺は俺で生きていきたいからね」</太>こんなやつが出てきます。痛いです。主人公もあきれます。しかし、友達の彼氏なので文句が言えません・・・。この友達の彼氏という設定がまた素晴らしいです。自分の名刺を作ってたり・・・。ツイッターにやたら格言みたいなのを書いてるクリエイティブ志望の就活生の「ウザさ」を、あんまり誇張することなく、さりげなく、絶妙なバランス感覚で描いております。

 さらに、この小説の恐ろしいところは、そんな「ウザい」友達の彼氏を、心のなかで「痛いなーコイツ」と見下す主人公が、ラストに「そういう観察していい気になってるお前が一番痛いよ」と、ボロカスに言われて終わるという・・・凄惨極まりない展開が用意されているのです。今、現代っ子が一番他人に言われたくない言葉ナンバー1が「痛い」なのではないのでしょうか。

 「痛い」とはつまり、セルフイメージ(自分が思う理想の自分)と外的評価のギャップのことです。とくに就活生というのは、自分の理想とする高いセルフイメージが、就活という壁によって「縮小」「断念」していくという痛ましい経験を通過していかなくてはいけません。この「縮小」や「断念」を味わうまえの、高いセルフイメージから生まれる自己顕示欲が、この小説に出てくる登場人物に麻疹のように蔓延していくさまを朝井リョウ氏は克明に描いております。そんでもって他人の自己アピールほど人にとってうざいものはありませんから、「おまえ、こないだのTwitterのつぶやき痛かったな」「いや、そういうお前のほうが痛いから」と、お互いがお互いでオノレの痛いところを探り合い、心のなかでせせら笑い、時に、本音をぶちまける。この小説を一言でいうなれば「痛さ指摘合い合戦」といったところでしょうか。主人公がラストに言われる言葉が胸を打ちます「あんたはさ、自分のこと観察者だと思ってんだよ。そうしてればいつか、今の自分じゃない何かになれるって思ってんでしょ?」「あんたは、いつか誰かに生まれ変われると思ってる」「いい加減気づこうよ。私たちは何者かになんてなれない」

 前半はあまりの生き生きリア充ぶりに反吐が出ますが、後半のこの展開を読んで、直木賞受賞は伊達や酔狂ではないと実感いたしました・・・。小説力では向こうの方がはるかに上でしょう。それは認めざるをえません。しかし、待ってください。ネガティブ力ではボクの方が上です。あとダメ人間力でもこっちの方が上です。この勝負、まだ勝敗を決めるには早いですよ・・・!!!

 

 

 

何者

何者