「置かれた場所で咲きなさい」がとても不快な本だった。

 

 何をするわけでもなく、書店をふらーっと見回っていたら、不愉快なタイトルが目に入ってきたので思わず足を止めてしまいました。その名も「置かれた場所で咲きなさい」 2012年で最も売れた本ベスト2位!なのだそうです。ベスト2位、ものすごく中途半端です・・・。ちなみに1位は何かというと、どう考えてもうざそうな高気圧中年ババア、阿川佐和子嬢の「聞く力」です。そんで三位は、池田大作の人間革命です。もうこのラインアップを見て、日本の未来はクソだ・・・と思われる方も多いのではないでしょうか。そのなかでも、まあ。比較的健全な本に見えるのが、この「置かれた場所で咲きなさい」であります。

 その健全っぷりは万年ネガティブフリーターを自称するボクからすれば思わず拒絶反応をおこしそうになるほど・・・。まずマイルドな色彩で描かれたタンポポの表紙が不快です。そんでもって、前述したとおり、「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルと、帯にある「人はどんな境遇でも生きていける」という優し~いキャッチフレーズが、喉元にナイフを突きつけるような不快感でボクにさし迫ってくるのです。

 というのも、ボク自身、常日頃から「・・・俺はずっとこんなところにいたいわけじゃない。俺のやりたいこと、俺の才能が発揮できる場所はこんなところじゃない・・・。いつかここを飛び出して、ここよりもっとほかの場所で、何かを見つけたい・・・何かって具体的なことは、まぁいまいちはっきりしてねぇけど・・・とにかく何かだ・・・あるはずだ・・・あるはずだ・・・」と何度も自分に言い聞かせているような人間なので、こういう言葉には、内心穏やかではありません。冷や汗がにじみ、心がざわめき、一瞬、目を伏せたくなりましたが、それではこちらの負けを認めたことになりますので、ここはあえて「やかましい!ババア!!!」「俺には俺の居場所がどっかにあるんじゃー!自分探し上等、なんか文句あるかクソ尼あああああ!!!」と半ばやけくそになって、手にとって、なんなら書評でボロカスにいってやると思いながら、読んでみたのです。すると、ものの30分ほどで読み終わってしまいました。この本薄いです。薄い割に、価格は高いです。装丁は優しいのに、価格は優しくありません。定価1000円もします。あと、この本、正論感がすごいです。どんな悪人でも独牙を抜かれるような正論で畳み掛けてきます。恐ろしい婆さんです。しかし負けてはいられません。この本を認めてしまえば、ボクは自分のプライドを潰されたまま負け犬フリーターとしての焼き印を押されることになります。そんなことは断じて許されません。というわけで、もう目を血走らせながら、文面から漂っている正論感と戦ったのであります。

  

置かれた場所で咲きなさい

置かれた場所で咲きなさい

 

 

 著者の渡辺和子シスターは30歳間近で修道院に入り、その後アメリカへ行き学位をとり、36歳という若さで学長に任命された苦労人でございます。この本の主題である「場所にこだわらず、自分が変わりなさい」というものは、この渡辺和子シスターが若くして学長になってしまった苦悩から始まります。

 東京で育った私にとって、岡山はまったく未知の土地であり―――前任者たちの半分の年齢にも満たない私が学長になったのですから、周囲もさることながら、私自身、驚きと困惑の渦中にいました――

 学長になってまず味わうことになった最初の洗礼は、なんと生徒が挨拶してくれないのでした・・・。そのことを渡辺和子シスターはこう語られます。

 初めての土地、思いがけない役職、未経験の事柄の連続、それは私が当初考えていた修道院生活とはあまりにもかけはなれていて、私はいつの間にか「くれない族」になっていました。「あいさつしてくれない」こんなに苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」

 自信を喪失し、修道院を出ようかと思いつめた和子シスター。ところが一人の宣教師に「置かれたところで咲きなさい」という一篇が書かれた詩をわたされ、気持ちが変わるのです・・・。

 私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。――どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。

 そしてシスターは行動にでます。

 私は、かくて「くれない族」の自分と決別しました。私から先に学生にあいさつをし、ほほえみかけ、お礼をいう人になったのです。そしたら不思議なことに、教職員も学生も皆、明るくなり優しくなってくれました・・・。

 なんとシスター。自分から挨拶してませんでした。いくら学長とはいえど、ずーっと「待ち」の姿勢です。そりゃ向こうもさすがに萎縮してしまうのは当然ですね・・・。不思議でもなんでもありません・・・。でも、こういうお茶目なところが和子シスターの可愛いところでもあります。

 この実体験を通じて、和子シスターは心を改めます。どんなところに置かれても花を咲かせる心を持ち続けよう、と。

 ものすごく素敵なフレーズに聞こえます。思わず賛同してしまいそうです・・・。
 しかし次の言葉で・・・ガクッと膝カックンされたような不快な気分に襲われます。

 「自分がされてうれしいことを、他人にしなさい」P40

 はい!と思わず高らかな声で温順にうなずきそうになりましたが・・・・よく考えてみると
 でも・・・・・シスター・・・これはかなり危険は発想ではないでしょうか。
 もしボクが他人からアルゼンチンバックブリーカーをされるのが嬉しかったらどうするのですか・・・。
 毎年、お中元を送ってくる親戚とか、自分がされてうれしいことを他人にしているんでしょうが、された側はそんなに嬉しくありません・・・。ありがた迷惑というやつです。自分がされて嬉しいことを他人にしたら他人も嬉しいだろうって・・・ちょっと傲慢な発想じゃないですか? 自分がされてうれしいことを他人もうれしいと思うとは限らない・・・。そういうことにはならないんでしょうかシスター・・・。

 境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる! P15
 
 はい!・・・あ・・・いや・・・あのシスター・・・これもお言葉を返すようですが・・・あの・・・境遇によって生き方の選択肢は、減ります! 確実に・・・。南スーダンの子供は、ヴァイオリン奏者にはなれません・・・。どっかの原始的な村では・・・女は奴隷という生き方しか与えれていません・・・。選ぶほどの選択肢がまずありません・・・。それでも置かれた場所で咲きなさい・・・とおっしゃるのですかシスター? 

 失ったものを嘆いても前には進めない。悩みを抱えている自分も大切に。悩みを抱えている自分をいとおしもう。P108

 いやシスター・・・それができたら悩んでないです・・・。

 「あなたが大切だ」と誰かにいってもらえるだけで、生きてゆける。P71
 
 いや・・・シスター・・・。わかりますが・・・、それがけっこうハードル高いです・・・。
 
 何もできなくてもいい、ただ笑顔でいよう。P63
 
 それがなによりできません・・・。
 
 順風満帆な人生などない P72
 
 それは言われなくても、わかってます・・・。

 

 神様は無関心であったものにこそ、愛に溢れた関心を寄せている P94

 

 え・・・じゃあボクにも神様が関心を寄せているんですか・・・

 

 神の存在を感じたとき、誰でも心おだやかに過ごすことが許される。

 ・・・・・・

 読んでいくと、すぐにわかるが、この本、宗教色が強い。神の存在が普通に出てきます。ここで戸惑ってしまう方は、この本とは折り合えないでしょう。そこでボクはあえてのってみたのです。シスターがそこまでおっしゃるのならと、「神様いる!」といっかい自分を騙してみようと心の中で思い込みました。そしたらどうでしょう・・・。ほんと冗談抜きで、ほんのちょっとだけ楽になったのです。最近失恋をしたのも、神様が与えてくださった試練だと思えば、なんとなく楽になります・・・。神様いい! この本のシスターはおもに、不幸な境遇も、運命も、「神様がそう言ってるんだからいんじゃね?」「神様が試練として与えてくださったんだからむしろ受け入れるべきじゃね?」という理不尽論法で畳み掛けてきます。神様を信じてない、もとい宗教なんぞ百害あって一利なしだろうという心がねじ曲がった人も一度、もう和子シスターの魔法にかかってみてはみてはいかがでしょう。なにか、心に透き通った風が吹くかもしれません。これが宗教の救いです。
 
 あと最後に言わせてください。場所というのは何の因果もなく、ただ偶然に生まれさせられてしまうというボクの考え方は、この本を読んだあとでもまったく変わりませんでした。むしろ和子シスターの発想は、辛くても神様が与えてくださったのだから、そこで耐えなさいという厳しいものでした。しかしこの本は売れています。アマゾンでも高い評価です。おそらく日本人の好きな、食べて寝て、ほかに何も求めない堅実な生き方の美学にぴったり合っているのでしょう。だがボクは言いたい。こんなご時世、辛いところに意地を張って座り込んでいても辛いだけです。花が咲くかどうかなんてわからないし、神様がいるなら、どうして辛い人が報われない世の中になっているのでしょう。この本にその答えはありませんでした。ならば言わせてほしい。置かれた場所なんかで咲けるかああああああああああああああああああ、と。