百田尚樹の「カエルの楽園」が想像を絶するトンデモ本で超がつくほど不快だった。

 

 最近「カエルの楽園」が売れているらしい。本屋に大量に平積みされているから読んだ方もいるかも知れない。僕もずっと気になっていた。アマゾンレビューも大絶賛。ほとんどが高評価。この謎の小説。いったいどんな話なんだろう。と思って読んでみたら中身は「動物農場」的な風刺劇。なんだけど、結論を言うと私は正直、この小説が超がつくほど不快だった。以前、永遠の0を「気持ち悪い」と言ったことがあるが、あのイデオロギッシュなメッセージ性が生理に合わないのかもしれない。
 どういう話かというとね。紛争から逃げ出したカエルが主人公なんです。で、そのカエルが、あるときめっちゃ平和なカエルの王国にたどり着くわけ。そのカエルたちは平和が大好きなの。「平和を守ろう」「平和を愛そう」ってずーっと唱えてるわけ。むかし戦争で死んだんです。たくさんのカエルが。だから、もう隣国と喧嘩しない! 二度と戦争をしない。武器を持たない。隣国にはすぐ謝る。そういう平和主義の世界で生きているカエルたちなんです。それを見て主人公はびっくりするわけ。「こんな平和ボケでいいの!?!?」って。外には、ウシガエルっていう獰猛なカエルがウヨウヨいるんですよ。このウシガエルがカエルたちを食べようと狙ってるんです。それなのに「平和が一番」や言うて不戦主義を貫いてるカエルたち。ウシガエルが王国に近づいてきている。なのに「武器を持たない」カエルたち。ウシガエルが迫ってくる。さあ、カエルたちの運命は・・・という話なのだが、百田尚樹の終末予想図が描かれた寓話なのである。「いまの平和は戒律のおかげだ」と思っているわけよ。カエルたちは。でも、じつは背後に強い鷹がいて、そいつがカエルたちを見守ってるんですよ。むかし鷹とカエルが大喧嘩したんです。それで怒った鷹の返り討ちを受けたカエルが「もう戦争はしません」っていう戒律をつくったと。ところが実はそれ鷹がつくった戒律で、二度とカエルたちを刃向かってこないように押し付けた戒律なわけよ。この押し付けられた戒律が、憲法で。鷹はアメリカを表してるんだけど。
 この小説を好きではないと思った理由は、ラストのオチである。ネタバレするが、ものすごく嫌な感じのラストなのだ。
 ラスト、ウシガエルが攻めてくる。そのとき9条派のカエルたちはどうするか。なんとウシガエルと結託して戦おうとするカエルたちを弾圧し始めるという展開が始まるのである。
 9条守ろう派のカエルの首領は、もう完全に「悪党カルト教祖」としか描かれていないのだ。そしてこのウシガエルがまた中国なんだけど(いや、もちろん寓話だから名指しはしてないんだけど)なんか9条派と、中国を模したウシガエルが、もう胡散臭いほど悪魔化(デモナイゼーション)されすぎなのである・・・。

 これだとまるで中国人が全員、日本人と戦争をしたがっているように見える。

 それともうひとつの問題は、そもそも中国の侵略に非武装平和を貫いて無抵抗に破滅する。という戯画化そのものが間違っているところだ。日本には個別的自衛権があり、侵略には反撃する能力がある。ありもしない極端な設定をあたかも現実の日本であるかのようにミスリードする全体的な幼稚さというか稚拙さ。しかもこの本が更にタチが悪いのが、9条に対する認識も間違っている点。左翼リベラル人を「非武装平和」として揶揄することで「九条なんて非武装平和ボケの賜物」と言いたいのだろうが、そもそも、その認識自体が、間違っている。

 勘違いされているようだが、憲法9条は非武装平和なんか謳っていない。

 あれは幣原喜重郎が、人類を破滅せるに至らしめる核兵器等の破壊力のある武器を国際管理にしようという前提において創設されたものだから実は非武装平和をうたっているわけではない。武装自体は否定してないのだ。こういう前提となる知識が間違ったまま、カリカチュアしているため、タダの悪質なプロパガンダになり下がってる。こういう九条信者(及び他国の人間)を「邪悪なもの」として描くというのは他人を邪悪なものと判断し異分子を排除しようとする九条信者と、結局、全く同じ思考回路。独善的な原理主義「自分と異な考え方の人間は排除するべき」という考え方にこの小説自体もハマっているのだ。

 いやね。べつに祖国を守る意識を持つことは大切なことだとは思う。外敵に対して警戒したり「恐怖」を感じるのも人間のまっとうな感情だと思う。でも、そういう感情は「個々の人間」に向けられるべきだと思う。「特定の国」とか「特定の民族」に向けているから、だから読んだあとで、気持ち悪さしか残らなかったんだよね。面白い小説だったけど、あまりにもオチがきな臭かったので、こういう本を売れてしまう日本の現状は、末期的だと思った。

 

カエルの楽園 (新潮文庫)

カエルの楽園 (新潮文庫)